というのもパチンコというものは基本的に、
自分が勝つこと、自分が楽しむ事を優先することが許される遊びだと思う。
だから自分の台が大当たり・大連荘している時に、隣の台がドハマリしていても、
素直に自分だけの幸運を喜ぶ事ができるし、
それがパチ屋の普通の光景だと思う。
時には、あまりにも当たりすぎて気まずくなる事もあるが、
それは気遣いから来るもので、そもそもパチンコってのは大人の遊び。
自分の台が不運な展開の時に、隣台が大連荘していても、
分別をもって割り切るべきだし、
それが出来ずに不愉快になるなら、パチンコを打たない方がいい。
だからこそパチンコは、
自分の台が当たってくれる事に集中して楽しめるし、
それこそ仕事で周囲に気を遣っている人にとっては、
自分の事だけに集中できるというのが、大きな息抜きになっているのだと思う。
そんなパチ屋なので、
その店にいる客の気持ちが一つになるという事はまれである。
しかし、その日、パチ屋の休憩所のテレビに映る琴奨菊の姿は、
その場にいた人の気持ちを一つにしていたと思う。
そして突き落としで豪栄道を下し、優勝が決まった瞬間、
その場にいた皆が喜んでいたと思う。
もちろん、その喜びの大きさは人によって違うだろうが、
その場にはたしかに祝福の空気があった。
ふと横を見れば、涙ぐんでいるおじいちゃんがおり、
俺があと20年若ければ、『おっ、俺も強い男になるよ、優勝してみせるよっ!!』と、
全く知らないおじいちゃんに、パチ屋の片隅で力士になる誓いをたてそうになるほどだった。
ところが、その五分後には、
休憩所にほとんど人がいなくなり、
それぞれが自分の台に戻り、それぞれが自分の大当たりだけを目指していた。
ま、パチンコを打っている人間なんて、そんなもんで、
そもそも人が気持ちにひとつになるなんてのは、一瞬だ。
そして休憩所では、
いつも座っているおばあちゃんがいつもどおりに、お茶をすすっていた。
さ、パチンコ界の横綱である牙狼と気持ちを一つにするために、稼働へ。