編集部日記第七十八話♪

【ハマリオのパチンコ日記】
厳しい時代。




パチンコで勝つのは難しくなった。


よく聞くセリフだと思う。


しかしこのセリフ、不思議なもので10年前ぐらいからずっと言われていたような気がする。





あくまで俺個人の記憶なので曖昧な部分が多いのだが、


ちょうど等価店が増え始めたころに、勝つのが難しくなった、というセリフはよく聞いた。


勝つのが難しくなったというのは、回る台、期待値がプラスの台が見つかりにくくなったということ。


等価店が増えれば、回る台の数が減るのは当然の流れ。





そしてこの頃になると新台が出るスピードが加速していったように思う。


それもマイナーな台が乱発されるのではなく、一度に大量の入れ替えを必要とする海物語。


初代沖海、カリブ、大海スペシャル、地中海、


このあたりのスパンは短めだった記憶がある。


まあ、今と比べれば普通のペースなのだが、それまでの海はそこまで乱発されていなかった記憶がある。


といっても、この頃はまだまだパチンコ自体に元気があり、朝から賑わっているホールも多かったし、新台が出れば立ち見で空き台待ちが普通だった。





しかし、この頃から、玉を出してお客を集めるというより、


新台をたくさん入れてお客を集める店が増えたように思う。


地域最大設置!とか、新台を打つなら当店!みたいな言葉をよく聞いた。




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それでも、まだまだ玉を出す方針の店はあったので、


そういう店を頼りにしつつ、等価店のイベントに参加したりしてれば、どうにかなった。





そしてこの頃から、等価で玉が増える機種を打つというやり方が増えたように思う。


今ではそのイメージは皆無かもだが、電サポ中の玉増えといえばSANKYOだった。


というか、どの台もある程度は増えた。けっこう増えた。





だからこの頃は、勝つのが厳しくなったといっても、以前に比べればというだけで、まだまだどうにかった。


家の隣のホールで打っていたのが、隣町まで出かける手間が増えたぐらいのものだった。




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