MAX読者のみなさま、また読んでいただいてありがとうございます。
どうも、人呼んで「平成の直江兼続」こと、ポンです。
――ようやくこのセリフが言えました。
時が経つのは早いもので、あっと言う間に最終話。
自分がMAXライターになるという興奮と、10週も務まるだろうかという不安が入り乱れた状態で始めた当日記であるが、
この最終話だけは最初からタイトルが決まっていた。
始める時にTOPページ用の画像を求められ、どうしようか迷った挙句、選んだのが今の画像だった。
みなさまも「花の慶次」でご存知の、愛の前立ての実物写真。
そう、直江兼続公の兜である。
――ここで恒例の解説を。
【直江兼続とは?】
戦国末期〜江戸初期にかけて越後(米沢)の大名・上杉家の筆頭家老・執政として、
軍事・内政・外交など、動乱期の国営を担った名宰相である。
現代の作品の多くで、義と愛に生きた武将として描かれており、
大河ドラマの主役にも取り上げられた【愛の兜】でお馴染みの人気武将だ。
しかし、この有名な愛の前立ての意味は、実は現代で言う「愛」の意味ではない。
その意味は諸説あるが、
愛染明王もしくは愛宕大権現の頭文字を取ったものと言われている。
いずれにしても、決して直江兼続は「愛」をアピールしていた訳ではない。
だが、自分の禄(給料)を家臣団に分け与えたり、愛に溢れる人物であったという逸話も多く残っており、
あながち現代に伝わる人物像から遠くないのかもしれない。
(興味のある方は、是非検索してみてください)
その逸話の数々はさておき、
当時はご存知の通り下剋上の世の中であり、
特に力を持った家臣が主君を排除して国を乗っ取ったという例が多い。
(第6話で解説した宇喜多直家とか)
そんな中で、ほぼ全権を主君から預けられてもなお、生涯裏切る事無く忠義を尽くした兼続こそ、真の忠臣であったと思う。
また、兼続は側室を生涯持たなかったとされる。
正室のお船の方は元々直江家の娘であり、そこに婿養子として入った兼続には側室を持ちたくても持てなかったのかもしれないが・・・
でも、そんな兼続とお船の夫婦仲は良好であったと言われている。
その証とも言える子宝にも恵まれたものの、
その子供は若くして亡くなり、直江宗家は断絶してしまった。
養子を取れば存続できたが、
経営に苦しむ主家に領地を返すために、大きくなりすぎた直江家の取り潰しを選んだとも言われている。
諸説はあるが、
時代背景などを考慮すると、私は兼続が間違いなく「愛」を持った人物であったと思う。
――仕事に忠実で、仲間に配慮し、妻や家族を愛する。
私はそんなライターになりたいと願い、兼続公にあやかった訳だ。
前置きが長引いてしまったが、
そんな「愛」を掲げた男の今期最後の稼働をご覧いただこう。