今回はパチンコの事などどうでもいいので、もっと大事な話。
【幸福】についての話をしよう。
なぜなら世の中のすべての人は幸福に向かって生きているのだから。
つまり、幸福の話をすることはパチンコの話をすることに通ずるのである。
「いや俺は幸福なんていらない」
なんて言う人もいるかもだが
そういう人は今のその状態が幸せなのだろう。
とりあえずがんばれ。
たとえば「パチンコを打つ」ということ、
これは「パチンコを打ちたい」というよりも
「パチンコを打って楽しい思いをしたい」
「パチンコを打つことによって幸福な状態になりたい」
と思っての行動のはずである。
パチンコを打ちたいというのは、
パチンコを打ちたいという事ではない。
人によっては「最終的にお金が増えていれば良し」という人もいるだろう。
人によっては「最終的に負けても期待値があれば良し」という人もいるだろう。
人によっては「好きな台でたくさん熱い演出が見れれば良し」という人もいるだろう。
あるいは人によっては「店で知り合いとワイワイ話せれば良し」という人もいるだろう。
いずれにせよパチンコを通して自分が幸福を感じられる状態に至れることを求めている。
もちろん中には「パチンコを打てればもうそれだけで楽しいし幸福だ」という人もいるだろうが。
そういう人だってパチンコそのものを求めているのではなく、
打っていて楽しいという心理状態を求めているはずである。
つまり、パチンコを打つという行為そのものを求めているわけではない。
パチンコに限らず、
お金を稼ぐこと、
仕事をすること、
その行為そのものを求めているわけではない。
お金が増えることによって自分が気持ちよくなれるから、それをやりたくなるのである。
そしてその行為をすることによって、その先で自分が気持ちよくなれること。
つまり幸福になれることを予見できるから、
その行為をしている最中にも満足感や幸福感が得られるのである。
これは何もお金絡みに限らず、
「家族を作るという行為」
これもその先に幸福があると信じているから、その過程にも幸福感が生まれるのである。
仮に家族を作るという行為そのものが目的だったのなら、
それこそお金を使って形だけの家族を用意することも可能だが、
多くの人が「家族を作りたい」と言うときに意味するものはそうじゃあない。
その先に幸福を感じられるような家族を求めいるはずである。
俺が何を言いたいのか。
もっと分かりやすい例えを出そう。
『パチンコ日記ピックアップ』
パチンコを打つ人間にとって「ハマリ」というワードは聞きたくないもの。
しかし、パチンコ日記としては時に素晴らしいスパイスとなって、日記に極上の色どりを添えることがある。
これはガンツで3000ハマリを耐えた女性の苦悩の日記である。。