ハマリオ日記第八十四話♪



そもそもパチンコってのはお金のやりとりによって、


金銭感覚が麻痺した非日常感によって、


ようやく面白さが感じられる程度の遊びである。


これは4パチとか1パチとか関係なく、


たとえ小額でもお金が絡んでこそのパチンコの面白さであると思う。





たとえば同じ球技(?)でも、


草野球やゲートボールなんかは、


お金のやりとり無しでも十分に楽しめる。


それはその遊技そのものに面白さがあるのだと思う。


一人で遊べる釣りなんかも、その行為そのものに十分な面白さがあるのだと思う。





もしもパチンコに遊技として面白さがしっかり成立しているのなら、


実機を買って家で遊ぶ人がたくさんいたり、


ゲーセンのパチンココーナーが賑わってもいいはずである。





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しかし、多くの人にとって、


お金抜きのパチンコなんか面白くもなんともないだろう。


家で実機で遊んでいて激アツリーチがハズれて、


それで台パンしていたら、それこそある意味で本物であると思う。






そういえばMAXライターの方々が、


あの頃のパチンコは面白かったと挙げる真花の慶次2を見ても、


俺としては、えっあの台って面白いか?


ということが結構ある。


逆にパチンコを打ち始めた時期がわりと近いであろうライターさんの好みには、


共感することも多い。




おそらくパチンコを初めて打った頃というのは、


目の前でお金のやりとりがされる非日常感、


運に左右されるギャンブル感の刺激がかなり強い。


だからその頃のパチンコが面白いと思えるのであって、


その機種そのものに面白味を感じているわけではないと思う。




逆に言えば、


どう考えてもクソ台に思えるオールクソ台時代の今のパチンコも、


初めて打った人にとっては十分に面白味を感じる可能性はある。





そう考えると、どういうパチンコが面白いのか、


パチンコがどうあるべきか、なんてのは、


いくら考えても答えが無いのではと思う。



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